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From:OCN 2021.2 vol.113 にっぽん深掘り紀行:「北前船」で栄えた富山の外港 〜西廻り航路が育んだ昆布ロードと薬売りの活躍〜/クイズに正解するとJCBギフト券が当たる!
にっぽん深掘り紀行
今月のテーマ:「北前船」で栄えた富山の外港 〜西廻り航路が育んだ昆布ロードと薬売りの活躍〜
にっぽん深掘り紀行とは?:身近な文化・なじみ深い著名人・広く愛される絶景…。「にっぽん深掘り紀行」は、毎月のテーマを深く掘り下げながら、日本各地の関連スポットをご紹介するコラムです。温故知新から見える新しい日本と、読んで味わう旅気分をあわせてお届けします。
現在、日本の物流の大動脈は「大都市がある太平洋側」であることを当たり前に感じていますが、昔からそうだったわけではありません。江戸末期から明治にかけては、北陸を経由して北海道(蝦夷地)と大阪(大坂)を結ぶ西廻り航路が全盛期を迎え、日本海側が日本の物流の中心でした。それを担っていたのが「北前船」と呼ばれる商船です。今回は北前船の歴史と、それに関わる富山の港の今と昔を深掘りしてみましょう。
■蝦夷と大坂を結ぶ西廻り航路と北前船■現代のように陸上交通が輸送の中心になったのは明治後期に入ってから。それまでは国内の大量輸送は海や河川を利用する水上交通が主流でした。 1657年に江戸で起きた明暦の大火後、その復興や再開発により江戸の人口が増加。関東周辺の米だけでは江戸の食料をまかなうことができなくなり、幕府は東北や北陸の天領からの円滑な海上輸送の確立に迫られました。そこで起用したのが、江戸の材木商人である河村瑞賢(かわむら・ずいけん)でした。瑞賢は日本各地の港に使用人を送り、彼らの調査をもとに寄港地に番所を設置。今までの出航時期やルートの見直しをしたのです。 こうして1672年に東廻り航路、1673年に西廻り航路が整備されました。東廻りは最上川下流の酒田(現在の山形県)から北へ向かい、下北半島をぐるりと回って太平洋沿いに南下し江戸に至るもの。 西廻りは酒田から日本海沿いに南下し、赤間関(下関)から瀬戸内海を回り、大坂に達するものでした。大坂で荷下ろしをしますが、そこから黒潮に乗ってさらに江戸までこのルートは延びています。当時は東廻り航路は海が荒れて難破するなどリスクが高かったため、次第に西廻り航路が主流になっていったようです。
こうした廻船の主力は「弁財船(べざいせん)」と呼ばれるオールを使わずに帆のみを使った船。その一つが北前船でした。名の由来は、大坂や瀬戸内地方で日本海側を「北前」と呼んでいたためです。最初は荷を運んで「運賃」という利益を得ていた廻船業者ですが、そのうち寄港地で自らが品物を買いつけ、他の港でそれを売り利益を得る「買積廻船」が主になっていきました。 18世紀半ばに入ると蝦夷地との交易も活発化し、各地の特産品の往来もさかんになります。蝦夷地からはニシンやサケ、数の子や昆布が運ばれ、西日本からは木綿や砂糖、茶、米などが運ばれました。当時、西日本では綿の栽培がさかんで、その肥料として蝦夷で獲れるニシンの魚肥の需要が高まっていたそうです。またこの時代に「昆布だし」が日本人の調味料に欠かせないものになっていきました。 19世紀には大坂商人や近江商人だけでなく、現在の富山県や石川県などの北陸地方にも、北前船で利益を得る地元の豪商が現れました。
■富山の外港として栄えた「岩瀬」■現在の富山市街は、江戸時代に加賀藩から分封した富山藩の城下町として発展しました。しかし1945年の富山大空襲で、市街地の約99%が被害を受けて新しい市街が造られたため、現在は江戸や明治を偲ばせるものはほとんどありません。 ただし、富山の外港である岩瀬へ行けば、伝統的な建物や町並みを目にすることができます。北前船の中継地として栄えた名残りから、船主たちも住んだ宿場町が今も残っていました。
通りに並ぶ家屋は、明治初期に建てられた北前船全盛期の伝統家屋です。そのうちの廻船問屋「森家」は資料館として公開されており、当時のお金持ちの家屋の間取りが見られて興味深いものがありました。通りに面した間口はそれほど広くはないのですが、奥行きが広くてプライベート空間も多いのです。 ほかにも伝統家屋や蔵が、食事処や酒造、和菓子屋、ギャラリー、工房などに再利用されています。古い趣がありながら「いま」のものも販売するという、新旧が同居したこの街は、富山の観光名所になっています。
■富山の薬売りと昆布■加賀藩から分封して始まった富山藩ですが、当初から農業生産には限りがあり、財政的には赤字が続いていました。それを解消する手立てとして、富山藩が推進したものの一つが「売薬」です。 置き薬を預けて、実際に使用した量を調べて代金を得る「富山の薬売り」は、地道な努力により18世紀半ばには全国で知られるようになりました。販路を広げるのに、もちろん北前船を利用したことはいうまでもありません。 そんな富山の薬売りは、藩同士の非公式の交流の役目も担っていました。有名なのは薩摩藩との貿易です。富山の薬売りが商売を認めてもらう代わりに、昆布を蝦夷地から北前船で薩摩へ運んでいました。 薩摩藩は昆布を買い上げて琉球に運び、清国へ転売。富山にも逆ルートで清国産の薬の原料が運ばれました。とはいえ、これが必ずしもスムーズにいっていたわけではなく、薩摩藩による「差し止め」という販売中止令が何度もあり、商人たちはなかなか苦労もあったようです。
北前船がさかんに往来していた富山ならではの食文化もあります。北海道の昆布を使った「昆布巻き」や「昆布締め」です。富山では新鮮な魚が獲れますが、それをさらに昆布で締めることによって日持ちさせることができます。 昆布に水分を吸われて身がしまるほか、昆布の塩分やグルタミン酸が刺身に移り、独特の味わいを生みます。昆布締めは刺身が有名ですが、肉や野菜などにも使っているそうです。ほか、昆布で巻いた「巻きかまぼこ」や「とろろ昆布」、「おぼろ昆布」も有名です。総務局の調査によると、2017年から2019年、富山市は全国の市町村の中でも一世帯あたりの昆布支出金額が全国1位でした。
■高岡の外港として栄えた「伏木」■富山市と石川県金沢市の間にある富山県高岡市の外港・伏木も、北前船の中継地として栄えました。高岡駅からJR氷見線に乗り約13分。小矢部川(氷見川)が富山湾に注ぐ河口付近にある小さな町です。 今では静かな高岡の郊外といった趣ですが、奈良時代には越中国(現在の富山県)の国司が駐在する国府が置かれた場所でした。「万葉集」を編纂した大伴家持がこの地に赴任したのは、746年のこと。家持は赴任中の5年の間に、ここで「万葉集」に収められた多くの歌を詠んだそうです。 江戸時代後期になると北前船が寄港する伏木は貿易港として栄えました。伏木湊(みなと)には能登屋や鶴屋、西海屋などといった、廻船を所有して交易する大きな廻船問屋がありましたが、そのうちの屋敷の一つが「北前船資料館」として現在公開されています。
北前船は明治に入って汽船の時代を迎えても、形を変えながら戦前までは伏木湊に商品を積んだ船が出入りしていたようです。ただし今では、伏木の町を歩いていても当時の面影はほとんどなく、普通の住宅地。いくつか残る廻船問屋の古い家屋が、わずかに往時の面影を残していました。 1890年には全国9位の船舶数を誇ったというかつての北前船の寄港地も、現在は漁港となり白エビやカニなどが水揚げされています。魚市場の見学や、水路を行く遊覧船が観光客に人気です。日本海に平行した内川沿いは、昭和の家屋が並んでいて趣があり、川岸の散策が楽しい場所でした。
江戸時代のイメージが強い北前船。しかし歴史をたどると、意外にも最盛期は江戸後期から明治時代までで、戦前の昭和初期までは細々でも行われていたようです。ただし、汽船の発達、鉄道による陸上輸送、そして太平洋岸の都市の発達などにより、西廻り航路の輸送は徐々に衰退していきました。 かつての寄港地は大型貨物船が着岸するには小さく、漁港へと戻っていきました。しかし昆布の消費量が富山でなぜ多いのか、そして富山の薬売りが仲介した貿易などの歴史を紐解いていくと、今の町からは見えてこないものが見えてくるはずです。
富山・高岡とその外港をめぐる
江戸後期から明治にかけて富山の経済を支えた北前船関連の見どころを紹介します。薬売りや昆布締めなど、この時代に始まった富山の文化にもふれてみましょう。
【北前船廻船問屋 森家(富山市)】「旧森家住宅」として国の重要文化財に指定。北前船の廻船問屋の建築様式が残されている屋敷です。森家は北海道や大阪などの上方と交易をし、岩瀬に多くの富をもたらしたといいます。(アクセス)JR富山駅から富山港線「東岩瀬駅」で下車し、徒歩10分。
【池田屋安兵衛商店(富山市)】1936年創業の老舗の和漢薬の店で、江戸時代に富山の薬を全国に広めた「反魂丹(はんごんたん)」の製造、販売を今も行っています。レトロなパッケージに包まれた和漢薬の販売や、薬剤師が症状を聞いて調剤する「座売り」もしています。(アクセス)JR富山駅から市内電車「西町駅」で下車し、徒歩2分。
【昆布締め】昆布締めは魚の刺身が有名ですが、肉や野菜などにも応用ができます。昆布の旨みがかすかに移り、お好みで醤油や柚子胡椒を加えて食べます。家庭料理なので、レストランや居酒屋の一品料理で出すことは少ないですが、お通しやかくし味などで出会うこともあるでしょう。
【北前船資料館(高岡市伏木)】江戸後期から廻船問屋として繁栄した秋元家の屋敷。現在は資料館として和磁石や引札、船の中で大切な書類やお金、着物などを入れる「船箪笥(ふなだんす)」など航海で使用したものが公開されています。高台にあり、船の発着を遠眼鏡で眺めた望楼が残っています。 (アクセス)JR氷見線伏木駅から徒歩約10分。
【義経・弁慶像(高岡市伏木)】「如意の渡し」は伏木の小矢部川河口にあった渡し舟のこと。軍記物の『義経記』では、山伏に変装して落ちのびた源義経一行が渡し舟の乗船時に疑われたため、弁慶が義経を打ちすえたという話が登場します。JR伏木駅前には、その場面を再現した義経と弁慶の像が置かれています。
【勝興寺(高岡市伏木)】国指定重要文化財に指定されている、浄土真宗本願寺派の寺院。戦国時代、越中の一向一揆の拠点で、江戸時代になっても北陸を代表する寺院として栄えました。大伴家持が統治していた時代の越中国の国庁もこの場所にありました。(アクセス)JR氷見線伏木駅から徒歩約5分。
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