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| 当時、女子大生だった久保田早紀のデビュー曲「異邦人」が、150万枚を売り上げる大ヒットを記録。哀愁漂う美貌と、神秘的な歌声、異国情緒溢れるメロディで国民を虜にした。現在、久米小百合の名前で教会音楽家として活動中。 |
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| 坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏によるテクノ・ユニット、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が、サブカルな大人たちのみならず子供たちの心までも捉え、空前の人気に。テクノポップ、テクノカット、テクノ族などの流行も生んだ。 |
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| 『花王名人劇場』『THE MANZAI』などの漫才番組を機に、「赤信号 みんなで渡れば怖くない」のツービート、「そーなんですよ川崎さん」のザ・ぼんち、B&B、紳助・竜介など、若手漫才グループの台頭でブームが到来。 |
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| 田原俊彦の「哀愁でいと」が、デビュー曲としては史上初の初登場ベストテン入りを果たす。同年、松田聖子が「裸足の季節」でデビューし、2枚目のシングル「青い珊瑚礁」が大ヒット。一躍トップアイドルとなる。二大アイドルの誕生年だった。 |
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| 漫才ブームの一方で、ドリフターズも相変わらず根強い人気を保っていた。志村けんのギャグ「カラスなぜ鳴くの、カラスの勝手でしょ」が子供たちの間で大流行。 |
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| 12月8日、ジョン・レノンが自宅アパート近くで射殺される。子育てに専念し、音楽活動を休止していたが「パパは、昔ビートルズだったの?」という息子の言葉に促され、10年ぶりに活動を再開した矢先のことだった。 |
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| ソ連のアフガニスタン侵攻を理由に、西側諸国の多くが参加をボイコット(英・仏は入場行進のみ不参加)。アメリカ追従の日本も、5月24日のJOC総会で29対13の採決によって不参加が決まった。最終的な参加国数は80ヶ国。 |
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| 巨人の長嶋監督が辞任。読売系新聞の販売部数と日本テレビの視聴率の低下を理由にした、事実上の解任だった。翌年、巨人は藤田元司監督のもとで優勝するものの、新聞の販売部数と視聴率の低下には拍車がかかることになる。 |
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| 「流行の先端をいっている」といった意味で使われた。「ナウなヤングのハートをキャッチ」などのフレーズで、時代の気分を表わす流行語として金字塔を打ち立てるが、今や死語の代名詞。同じく80年代に浸透した「ダサい」はなぜか定着。 |
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