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2004年3月・多和田さんインタビュー第1回 記事一覧へ

本やドラマ、そして2004年には映画にもなったクイールの訓練士であり、2004年の春からは(財)日本盲導犬協会の盲導犬訓練士学校の教育責任者を務められる、多和田悟さんにお話を伺ってきました。
「魔術師」とまでいわれる多和田さんの盲導犬との関わりと、「多和田流」訓練法の秘密に迫ります。
(インタビューは2004年3月17日に行われました)

西暦 年齢 できごと
1952 0 滋賀県に生まれる。
1974 22 (財)日本盲導犬協会・小金井訓練センター
盲導犬訓練士としてのキャリアをスタート。
1976 24 (財)日本盲導犬協会・富山県支所
1982 30 (財)関西盲導犬協会・訓練部長
この年自費で渡英。英国盲導犬協会のデレク・フリーマン氏と出会う。
1987 35 この年クイールを訓練する。後に『盲導犬クイールの一生』(文藝春秋)などで有名に。
1995 43 オーストラリアのクイーンズランドにある盲導犬協会にシニア・コーディネーターとして招かれる。
2001 49 (財)関西盲導犬協会シニア・コーディネーター
2004 52 (財)日本盲導犬協会・盲導犬訓練士学校教務長

■多和田さんの原点

今回の訓練士学校の生徒募集には、短い募集期間にもかかわらず200名近い応募があったそうですね。その中には、多和田さんを目指して応募してきた人も多いと思うんですが、多和田さんご自身は訓練士になるにあたって目標とする人はいたのでしょうか?

多和田さん 「特にないですねえ。盲導犬に関わっている人自体が少なかったですし、情報もありませんでしたから。そのころ盲導犬に関しての情報というと、佐々木たづさんの『ロバータさあ歩きましょう』(偕成社)と『ぼくは盲導犬チャンピイ』(河相洌・偕成社)くらいしかありませんでした。それも特に意識して読んでいたわけではないんです。後になって振り返ってみると、『そういえばこんな本を読んだことがあったなあ』というくらいで」

多和田さんというとみなさん「あの人は犬と話ができる」とおっしゃるんですけれど、その「犬と話をする」感覚はいつ頃からお持ちだったんですか?

「小さいときから、ペットとして飼われている近所の犬とかと話すという習慣はありましたね。名前を呼んで『おーい、どうしてる?』というと、その犬がしっぽを振るから『ああ、うれしいんだな』と思う。それは世間のみなさんと同じ程度ですよね」

訓練士としてのキャリアを歩み始めて、小金井の訓練センターにいた当時、訓練は現在のものとは異なっていたと思うのですが、

「違ってましたね。・・・というのは、犬にも都合があるんですよ。何をやるにも犬の都合というものがあるんですけれど、その当時はそんなことお構いなしだったんです。『犬の都合なんて聞く必要はない』という絶対服従だったんですね。でも、それを疑問にも思いませんでした」

「今風にいうとDominance Control(優位による支配)です。『オレがリーダーだ。言うことを聞け』という態度が主流でした。クライアント(盲導犬ユーザー)にも『あなたがリーダーにならなきゃいけない』って言っていました」

でもリーダーシップの問題は最近でも言われていますよね。飼い主のリーダーシップがないために犬のしつけがうまくいかないとか。

「本来の意味でのリーダーシップは必要なんです。犬はリーダーがいて安定しますから。リーダーがいなくなってしまうと、犬は自分で判断しなければいけない。しかしその判断は人間から見たら間違った判断です。けれど、そのことをだれも教えてくれない。・・・そうやってどんどん不安定になっていってしまうんです。犬が混乱してしまっているわけです」

ではその当時は逆に、その支配が犬の都合を無視するほど強すぎたし、強くするべきだと思われていたわけですね。

「そうです」

小金井時代の後、20代の後半に富山へ移られましたね。

「小金井にいたのが2年間で、後半の1年間は富山に行く準備でした。その1年の間は、資金を稼ぐためにサラリーマンをやっていたんです」

ちなみにどんな仕事をされてたんですか?

「横浜で捺染(衣類のプリント)の材料を売っていました。当時は繊維関係は景気が良くて、ずいぶんいいお金になりました」

そのまま居残ってしまおうとは思わなかったんですか(笑)?

「いやぁ、それはありませんでしたね。会社には申し訳なかったですが、『来年は富山に行く』っていう目標がありましたから。そこでお金を貯めて、富山に行ったんです」

その当時の生活は、いまとくらべてどんな感じだったんですか? 1週間、1日をどのように過ごされていたのでしょう?

多和田さん 「いや、もう1週間なんて感覚はないですよ。毎日同じ生活です。朝は日の出の1時間前に出勤。夏なら4時から5時くらいですね。そこでまず排便をさせて、明るくなったらすぐ訓練が出来るようにしてました。夜は日が沈んでから1、2時間、帰ると8時から9時くらいになっていました」

「うちの妻がよく言うんです。『ご飯食べながら寝てたね』って。・・・だから僕、あの当時の写真っていうと、ガーッて寝てる写真だけですよ(笑)」

じゃあもう、家に帰ると食べて寝るだけ・・・

「ヘタすると食べないでも寝てましたね」

富山にいた頃に、「ユーザーの視点での盲導犬育成」の必要性を考えられていたとこの本(『クイールを育てた訓練士』文藝春秋)には書かれていますね?

「正確に言えばそれも『後から考えると、そういえばそうだったな』ということなんですけどね」

ではその富山にいらした当時に、自分で訓練方法を工夫したとか、変えていこうとしたとかいうことはないんですか?

「ないです。ただそれが、使用者に受け入れられなかったという事実を突きつけられただけです」

ユーザーの方に受け入れられなかった?

「喜んでいないんです。僕の目にはそう見えた。そこでもし福祉という観点で、見えない人の観点で考えることができていれば・・・と思いますね」

ではその当時はユーザーのことよりも「犬を訓練する」「犬を出す」という感じだったんですね。

「僕にとってはそれだけに思えました。だから(出来のあまり良くない)犬の就職先を探しているような感じです。でも、それを持たされた方はたまらんなあ、と」

■イギリスへ

その後、一度イギリスに行かれてますね?

「そう、『欧米では、ユーザーの方は生涯に何頭も犬を使うらしい。それはなぜなのか見に行きたい』と思ったんです」

ということは、日本ではその当時そういう使われ方をしていなかった・・・

「一生懸命に使って、燃え尽きて終わり。僕のまわりはそうだったんです。もちろん違う人もいましたけど、少なくとも僕のまわりではそうだったんです。それで、イギリスに行って見れば納得できるかなと思ったんですよ」

それではなぜイギリスだったんですか? たとえばアメリカではなく・・・

「それはやっぱり『ロバータ』だったと思います。佐々木たづさん、彼女は目の見えない童話作家なんですよね。彼女が盲導犬を欲しいと言ったとき、日本動物福祉協会の会長をしていたロジャー・ゲインというイギリス人の方が、彼女を支援してくださったんですよ。だから日本動物福祉協会の最初の仕事は盲導犬の導入だったわけです。それで、私の中でイギリスはとても近かったんです」

ではどのようにイギリスの盲導犬協会とコンタクトを取ったんですか?

「それに関して尽力してくださったのもロジャーなんです。ロジャーの奥さんが日本人で、現在も東京に住んでいらっしゃいますけれど、彼女も助けてくださって、佐々木たづさんがロバータをもらったのと同じ、エクセター(Exeter)というところの訓練所に行ったんです」

その時の問題意識というのは、「なぜ欧米の人は生涯に何頭も犬を使うのか?」というものだったんですね?

「いや、その頃はもっと具体的でしたね。僕はある仮説を立てていて、『訓練でしつけるのではなくて、盲導犬に向いた犬がいる。盲導犬をやることを楽しめる犬がいるに違いない。彼らはそれを使っているんだ』と思ってたんです」

それは本や何かで読んだということではないんですか?

「そうではないです」

ではどうしてそのような仮説に至るんでしょう?

多和田さん 「それは・・・僕がきびしくしつけても、僕じゃない使用者の方が使うわけですよね。しかも目が見えないわけで、タイミングがずれる。タイミングがずれると、犬にとっては隙があるわけです。そうすると自分の好き勝手にするようになって、だんだんギャップが広がってくるんです。最初のうちはまだこちら(訓練士)の支配が効いてますからいいんです。でもだんだんとギャップが広がって、最後には犬は使用者の言うことを聞かなくなってしまう」

「それを目の当たりにしてたので、『これは厳しい訓練でどうにかしているんじゃないな』と。本の中で、ロバータがたづさんと一緒にいることをすごく喜んでいて、たづさんのためなら何でもするように書いてあったので、『これは犬が違うぞ、これは行って見てやれ』と思った」

その当時、その「犬の種類が大切だ」というイギリスの常識は日本に伝わっていなかったんでしょうか?

「日本で大事なのは、ダメな犬を訓練していい犬にする技術が優れていることなんです。だからその後も、警察犬など他の訓練士の方とお付き合いしていて言われるのは『いいよな、おまえのところはいい犬しかいないから』と。彼らは『いい犬をよくしたって、何の自慢にもならないよ』っていう世界なんですよ」

「たとえば20点の犬を80点にすることに意義があると彼らは考えるわけです。僕は80点の犬を80点にすればいいじゃないかと思うんです。だから20点の犬を一生懸命80点にするより、80点の犬を探してきた方がいい」

ユーザーからしたら、元が何点であろうと80点であればいいんですものね。

「そう、元が何点であるかよりも、その80点を10年間維持できるかどうかなんですよ。最終的には私たち(訓練士)の手を離れるんですから、20点の犬を80点にして渡すというのは、クライアント(使用者)に対して、訓練士になれと言っているようなものです。でも、75点くらいを維持するくらいならできるんです」

もともと80点の犬だから。

「そうなんです。実際には点数で測れるものではないですけれど、『盲導犬になるために生まれた犬がいる』というのはそういう意味なんです」

(2004.3.25)


第2回

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