トゥギャザーしようぜ!ってなことでございまして、今号のテーマは“共存”ということで、魑魅魍魎が蠢く(うごめく)芸能界と、持ち前のトゥギャザー精神で見事な共存っぷりを確立されているルー大柴さんに、共存の極意を伝授していただきたいと考えております。
「なーるほど(ニッコリ)こちらこそよろしくお願いします。うん、なんでも聞いて」
ではまず、何度もお話されているかと思うので恐縮なのですが、この世界に入られたきっかけからひも解ければと。
「全然ノープロブレムですよ! きっかけというかね、幼稚園のとき学芸会で初めて人前でお遊戯みたいなことをやったんですよ。その前の日はナーバスになっちゃって『やだなあ』と思ってたんだけれども、お遊戯をやり終えるとお客様に拍手を頂いてね、そのとき体がチキンスキンなわけですよ」
チキンスキン(笑)感動して鳥肌が立ったと。
「そうそう。でね、この感じいいなって。将来は人前で何かをやる、表現する仕事に付ければいいなって思って」
幼稚園でそこまで考える子ってスゴいですよ。
「ホントその通り。困っちゃいますよね。たまたま今の感じになっているからあれですけど、そんな可能性なんてないわけですし、難しいし、でも、そこから夢中になってしまって」
では、幼稚園から小中高とまったくブレずに?
「基本的にそうですね。そういえば1回だけ蕎麦屋さんになりたいと思ったことがあるんですけど」
蕎麦屋さんにですか!?
「ボクはホントに蕎麦が大好きでね。でもまぁ、小学校のときの4日か5日間くらいだけしか思ってなかったんですけど。この話は余計だったかな?(笑)」
余計ですね(笑)
「ただね、うちは印刷屋だったんですけど、ボクが跡取りだったんですよ。お爺さんからお父さんに、そしてボクが跡取りにならなければならないっていうのがマストみたいな教育をされたんで、そんなデスティニーが非常にイヤだったんです。自分が印刷屋が好きだったらいいんですけど、体に全然馴染まなかったというか」
全然継ぐ気はなかった?
「職人がたくさんいたんでなんだか大変だなって。継ぐ気はないというか、正直逃げていましたね。ボクには夢があったんで、母親からは自分の夢を叶えるのが一番良いことなんだって言ってもらえてましたけど」
運命を拒絶するべく主にどういった夢活動をされていたんですか?
「小学校のときはとにかく学芸会には必ず出てましたね。中学を卒業してから旅芸人になりたいって親を困らせたり」
さすがに旅芸人は反対するでしょ(苦笑)
「そりゃそうですよね。まぁとにかく実力もないくせに『早く外に出たい!』とか言っちゃってる痛い子でしたね。自立したいというか。家がちゃんとしているんだからそんな窮屈じゃないんですけど、そういう“しがらみ”みたいなものがあったんでね。まぁ親はボクにすごく愛情をかけてくれてましたし、お爺ちゃんもかわいがってくれて、愛されて育ててもらったなって感謝していますね」
ルーさんの持ち前の英語的な表現はいつ頃から?
「今話しをしていたのと同時期かな、その頃外国に興味を抱き始めて、トゥギャザーというかね、父親は日本人ですけど海外で生まれた人で英語と中国語とロシア語が喋れたものですから、小さいときからね、例えば『バナナを食べなさい』ってところを『バナナをイートしなさい』とか(苦笑)最初は『日本人なのに気持ち悪いなぁ』って思ってたんですけど」
知らず知らずの内に自分もそうなっていたと。
「そうなんですよ。でね、可愛がりかたも違っていて、ハグとかキスは当たり前で、学校から帰ってきたらハグされて『よしよし、どうだった学校は?』みたいな猫可愛がりをする父親で、影響はないわけないですよね」
そんな愛溢れる状況下で、なぜ高校卒業後に海外放浪を?
「父親は養子でね、職人肌ではなかったんですよ。爺ちゃんと母親の間に挟まれて、だんだんと酒に溺れていく様になって、小中の頃は世界で最高なファミリーだと思っていたんですけど、そうでもなくなってきて、まぁ、それが理由ではないんですけど、とにかく高校卒業したら海外に飛ぼうって決めてましたね、まぁ放浪っていってもアバウト1年ですけど」
いやいや、70年代初頭に日本人が1年間も海外を放浪するってスゴいことですよ!
「70年代初期の世相といいますか、世界はヒッピーの時代、日本ではフーテンとかサイケデリック、そういう傾向だったんですね。ですから私もサマータイムはヒッチハイクしながら特に北欧を旅しましたね」
アメリカではなく?
「アメリカも行きましたけど、どっちかというとヨーロッパのほうが好きなんです」
当時はまだ日本人に対する差別意識が高かったのでは?
「イエローということで石を投げられた人もいたり、喧嘩売られたとかはありましたよ。でも、他の日本人からの情報に比べると、ボク自身はそんなにそういったエクスペアレンスがなくて、逆に家に泊めてもらったりとかしてましたね」
持ち前のトゥギャザー精神で?
「ですね。最初はガチガチだったんですけど“これじゃいけない!”ってことで、とにかくいろんな人間と接しようと思って。最初はロンドンにいて、語学教室なんかにいたんですけど、荷物やらなんやらは全部日本に送ってしまって、とりあえずデンマークまで行ってリュックサックをひとつ買って」
いきなり発奮したんですね。
「でも、コペンハーゲンだったかな、買ったリュックを見てみたら“MADE IN JAPAN ”って書いてあったのには笑っちゃっいましたけど(苦笑)まぁ、それで旅を始めたんですけどね」
MADE IN JAPAN を背負って(笑)で、そこからトゥギャザー観を高めていったと。
「もうですね、ブロークンでもなんでもいいからとにかく人と接しようとしましたね。自分を表現するには、中高で習った程度の英語を知っていれば、とにかくワーズを言うというね。そういうことが必要なんだということがわかったんですよ」
とにかく知っている単語を総動員してコミュニケーションをはかると。
「その通りです。あとはイエスとノーをちゃんとはっきり言う。日本人って外国の人に接するとなんかニヤニヤして物怖じしちゃって、気持ちはノーなのにヤーヤーと合わせるじゃないですか。ああいう感じをね、チャイルドの頃からルックしていてイヤだとボクは思っていて『なんでそんなにへいこらしなくちゃいけないんだ?』と思ってたんですけどね。なんでしょう、度胸というんですかね、それは外国に行くことで体に染み付きましたね」
最初はビビりませんでしたか?
「ビビったことはありますね。ただ、話してみると、むこうは日本人の事をよく知らないということがわかってきたんですよ。1964年に東京オリンピックですから『あ、こんなところにジパングがあるのか』ということぐらいで」
まだショーグンかフジヤマとかゲイシャとかそんな認識の時代ですもんね。
「そうそう、まだサムライが刀で斬ったりしてんじゃないかって思ってる人もいましたから。なんせ今から3、40年前ですし、当時は日本人の若者がヨーロッパを放浪するなんてあまりない時代でしたからね」
でしょうね。ちなみに、どうやって食べてたんですか?
「露天商をやってましたね。馬の蹄に打つ釘があるんですけど、それを変型させてブレスレットやネックレスを作って、それを路上で売っていたんです」
まさにヒッピーですね。
「ヒッピーそのまんまですよ。ロッテルダムとかで、50円くらいの所場代を出せばなんでも売っていいという場所で。他にもバッグとか作ったりして、そういうのを露店で売って、いいときは2万円くらいになりましたね」
当時の2万ってスゴくないですか?
「たまにですけどね。もちろんゼロのときもざらにありましたよ。売れたときは優雅にやってましたね。よく『危険を感じたエピソードは?』的な質問をされるんですけど、ボクは比較的平和でしたね。野宿もあればユースホステルに泊まったり、大学の講堂に寝泊まりしたり。あと、当時はディスコなんかにもたまに行きましたね」

放浪の旅でディスコですか!
「いっても当時はボクも若者でしたから、若者が集まるプレイスにも興味がありましたからね」
ロマンス的なことも?
「うーん、そうですねぇ(照)フィンランドのディスコで出会った女の子とお付き合いしたりはしましたよ」
フィンランド女性と! 美しかった?
「モデルさんでしたからね(ニッコリ)」
おぉ! いったいどんな感じでトゥギャザーされたんですか?
「ヘルシンキの国立競技場の中にユースホステルがあるんですけど、そこに日本人がいて『今日ディスコに行くんだけど、一緒に行く?』と誘われましてね、悲しいかな男とふたりで行ったんです。で、『お、ここがフィンランドのディスコか』と。やはり若いですから踊りたいとかあるじゃないですか。今は、まったくないですけど(苦笑)」
そりゃ踊りたくもなりますよ。
「まだ少年みたいなものでしたからね。で、ディスコに入って座ってたんですけど、やっぱり外国人はガールハントというか『踊らない?』というアクションがナチュラルにできるわけです。もうそれは当たり前のことって感じで」
でも、日本人は……。
「日本人はやはりドキドキしちゃうじゃないですか。でね、向こう側に3人くらい女の子が座っていて、真ん中の子がものスゴく可愛くて、左右の子は踊るんですけど、真ん中の子は誘われても誰とも踊らなかったんですよ。チャレンジしたいなって思ったんですけど、なかなかできなくて、そろそろお店も終わりになっちゃうんで『とにかく1回アタックしてみよう!』と。そうしたら一緒に来た男が『そんな、おまえ無理だよ、日本人だぞ』って」
あぁ、ダメダメな劣等感スパイラルに入っちゃったんですね。
「ですねぇ。でも、ボクはやっぱりね、テイク・ア・チャンスというか、当たって砕けろみたいな気持ちで、言わないとあとで後悔したくないからとね。で『シャル・ウィー・ダンス?』と誘ったらなんと『イエス・オフコース!』と彼女が立ったんですよ!」
おぉ! やっぱりこっちが勝手に卑屈になっているだけだったわけですね。
「そうなんです! 。それでですね、踊り場がそのときエキサイティングなロックだったのが、バラードに変わったんですよ。で、彼女とふたりだけになっちゃって、その曲のときにチークダンスを踊りながら『どうしてキミは友達が踊っているのに踊らなかったの?』と聞いたら彼女が『ビコーズ、なぜならあなたがドアからインしてきたとき、今日の相手はあなたと決めていたの』と」
おぉぉぉぉっ! なんだかドラマの様なラッキー展開ですね。
「でも、そこで運を使い果たしてしまったのか、20代〜30代はまったく全然ダメでしたけどね(苦笑)」
フィンランドでモテ運を使い果たしましたか。でも、今って草食系男子とかいう言葉もあるぐらい、男の子が当時のルーさんみたいに、女の子に“当たって砕けろ”をしないですよね。
「若いときはやっぱりアタックするということが大事ですよ。ボクにもそういう精神があったんですね。それはなぜかというとやはり後で後悔したくない。例えば女性に関してだけでなくても『ボクはこう思うんだけどどう思う?』と言っておかないと、相手が『いいわよ』と言う可能性すらなくなってしまうかもしれないわけじゃないですか。勝手に高嶺のフラワーだと思い込んじゃうのは一番良くない」
高嶺のフラワー(笑)
「『あ、ごめんなさい、高嶺の花だと思っちゃって』ってあまりトライしないでしょ? そうやって後で後悔するのがイヤなんですよ。ディステニーって運命ですから、『ボクはあなたとお茶を飲みたい』、あるいは『デートがしたい』と気持ちを相手に言わないと、彼女が『ごめんなさい、私はボーイフレンドがいるの』とか、『ごめんなさい、イヤです』と言われればそこで諦めがつくでしょう。なのにトライしないで、勝手に悪い結果を自分だけで思っていて、やきもきしているという状態がボクはイヤだったんです」
世の若い男子は耳の穴をかっぽじって聞くべき言葉です。
「人それぞれだろうと思いますけど、そういうのっていたたまれないんですよね。これはもしかしたらチャンスなんじゃないかとか、出会いってこういうものなんじゃないかとかね。まぁ、フラれたこともいっぱいありますけど」
日本人は先天的に“恥をかきたくない”という国民性がありますからね。
「ボクの座右の銘なんですけど『恥かけ汗かけ涙しろ』というのがあるんです。恥、つまりシェイムですね。大人になればなるほど恥をかきたくないですから、ようするに自分にバリアを張っちゃっうんですよ」
そのバリアが日本人のトゥギャザー観をダメにしている?
「その通りです。恥をかくことで人間はトゥギャザーになれる。そして、恥をかくことでスウェット、要するに汗をかくわけじゃないですが、そこで仕事でも恋愛でもそこで汗かくことによってより自分の人間性が相手に伝わったり、相手の人間性がわかったり、仕事の内容なんかもわかってくれたりするんです。それをしないことで全然分かり合えなくてブロークンになることがあるんですよ。相手とトゥギャザーになったとき、仕事にしても恋愛にしても何かをゲットしたときでも、その感動でティア、つまり涙を流すんです。そのようなライフスタイルがつまりトゥギャザーなわけですよ」