
今号のOGは吉村作治教授(以下、教授)をお招きして、OGらしからぬというか、いつになく知的におおくりしたいと思っております!
「よろしくね(満面の笑みで)」
早速ですが、教授はどのような経緯でエジプトの伝道師になられたんですか?
「ボクはね、子どもの頃運動が苦手だったんだよ。体育や音楽、そういう生まれつきの才能を必要とするジャンルが苦手で」
ポテンシャル勝負なものは全て?
「全部と言っても過言じゃないね。それでね、学問なら学べば学ぶほど身に付くから、ボクは勉強で勝負しようと思ったの。毎日図書室に行ってはいろんな本を読んだよ。特にね、先生に『何を読めばいいか?』って聞いたら『伝記を読みなさい』とアドバイスされて、伝記物ははじからはじまで読みあさったねぇ」
誰の伝記に感銘を受けたとかってありますか?
「偉人よ呼ばれている人の伝記かな。例えばエジソンだったりとかリンカーンとか。で、そういう伝記シリーズって最後の方が冒険家や探検家になっていて、一番最後にハワード・カーターって人の伝記を読んだんだよ」
ツタンカーメンの黄金のマスクを発見した人ですね!
「そうそう。でね、『これはおもしろい! ボクもエジプトに行こう!!』って」
それっておいくつのときの話ですか?
「小学校4年生だね。それでね、先生に『エジプトに行きたい』って言ったら『それは学者への道になるから、そのためには東大に行かなくちゃいけない』って言われてね。東大に入るためには東大へたくさん入ってる高校に行かなくちゃいけないし、その高校に行くための中学にもいかなくちゃいけない。『区立の中学じゃ学者にはなれない』ってことで、猛勉強して受験したの」
教授の時代に中学受験する人っていたんですか?
「受験戦争みたいなのはさすがになかったけど、東京学芸大学付属の大泉中学校というところを受験したら、そこは倍率数十倍とかだったね。まぁ、偶然受かったけど」
でも、エジプトに行くために倍率数十倍の難関中学受験をしたって子どもはさすがに当時はいなかったでしょうね。
「それはボクだけだろうね。でも、最初は落語家になりたかったんだけどね」
落語家!? ですか……。
「そうそう。なんで落語家になろうかと思ったかというと、丁度ね、柳家小さん師匠っていう落語家がね『最近は落語界に子どもの弟子がいない』ってラジオで言ってたの。ボクはたまたまそれを聞いていてすぐに『落語は小学校の時代からやんないとダメだ』って。で、親父に相談したらふたつ返事で喜んでね」
お父様も落語が好きだったとか?
「そうなんだよ。小さい頃はよく親父に寄席なんかにも連れて行ってもらったりしてね。あと、うちは江戸友禅の職人の家なもんだから、小学校から弟子入りするという行動になんの躊躇もなかったこともあるかな。親父もお袋も小学校しか出ていないから、そんな学歴なんて全然関係ないって感じだった」
そういったお考えの子どもが大学の教授になってるというのもおもしろいですよね(笑)
「でしょう(笑)当時住んでいた家の向かいの人が大学の教授でね、週の半分以上はうちでのんびりしてるんだよ。それを見てるうちの両親は『あんなに毎日何もしないでお金を貰ってる人はろくなもんじゃない! お天道様に怒られるよ』って、『あんなのは失業者だ』っていっつも言ってたよ」
アハハハハ! で、落語家の道は?
「結局はお袋が『落語は聞くものでやるものじゃない』とか反対してなくなっちゃったね。なんでも、そういうおもしろい人は家じゃムスっとしているそうだから、そんな家庭は辛いとかそんなこと言ってたね」
お笑いの方はだいたいそうですからね。で、道を落語家からエジプトにシフトすると?
「そう聞くとものスゴい振り幅だよね(苦笑)」
たしかに。でも、学歴なんて関係ないというご両親なわけですから、有名私学に進学するってことに対しても反対されたんじゃ?
「いや、行きたかったら行けばって感じだったね。両親はボクが試験を受けたことも、試験日さえも知らなかったし『合格した』って言ったら『ふーん。で、どこに入ったの?』って感じだったからね」
ステキですね。で、そこからひとつもブレずにエジプトへと一気に?
「全然ブレなかったね(断言)自分で言うのもなんだけど、ボクのいいところは初志貫徹、一つの物事に対して信念を貫くところだからね。まぁ、いろいろあったといえばあったけども」
その“いろいろ”とは?
「小学校6年生のときに原子力商船っていうアイデアが出てきてね、原子力商船の船長になりたいなぁと思って商船系の学校を受けようと思ったんだよ。そしたら先生が『商船学校に行っても原子力商船の船長にはなれないよ』って言ってくれてね。あと、その後丁度ジャンボジェット機が登場して、ジャンボのパイロットになろうと思ったんだけど、お袋に『飛行機は操縦するより乗ってた方がいいわよ』って言われて」
それってブレてやいませんか?
「中学の時には会社経営にも足を踏み入れてね、株式会社を作ったんだよ」
中学で株式会社設立ですか!
「当時親父は友禅をデパートに収めてたんだけど、例えば数十万で売ってるものを、5万円くらいで買い取られてて、しかも売れないと返してくるんだよ。ボクは中学の頃からマルクスなんかも読んでますから『これはもう搾取でしかあり得ない』と思ってね。そういうのは断ち切らなきゃダメだと。といっても社会の構造改革なんてものは出来ないから、できるならうちの稼業だけでもそこから断ち切らねばと思ったの」
とんでもない中学生ですね……。
「親父は『そしたらどうやって食っていくんだ』って騒いだけど『ボクがマネージメントしてあげるから』って言って、親父の仕事を株式会社にしようとしたの。でも、株式会社の作り方なんてわからないから、近くの税務署に行って『株式会社ってどうやって作ればいいんですか?』って聞きにいったわけ」
そりゃ税務署の職員も驚いたでしょうね。
「驚くも何も『子ども銀行じゃないんだぞ!』って怒られたよ。でも、真剣に話していくうちに信念みたいなものが伝わったのか、いろいろ教えてくれて、最終的には税務署が作ってくれたんだよね」
凄まじい話ですね。
「でね、まず、親父は芸術家なんだから個展をひらいて、知り合いとかいろんなとこに広告を打って、人を集めて、そこでひとつひとつ売る方向で進めたんだよ。親父は白生地を買ったり、絵の具を買ったりそういうお金がないっていうから、ボクは近くにあった信用金庫に行って、融資をしてもらって、それで白生地を問屋じゃなくて大元の生地で50反買ってきて、親父に50反作ってもらって2日間で売り切ったんだよ」
スゴいですね! で、融資の返済も滞らずに?
「滞るも何も、借りたお金は毎月定額で返すってことになってたんだけど、借りたお金は一気に全部返しちゃった。そうすると、次の融資のときは信用度も俄然違うし、その後は生産数も増やしていって順調に行ってたね。会社経営ってスゴくおもしろいって思って、将来は会社を経営しようと真剣に考えてた」

たしかにものスゴいですけど、エジプトはどこに?
「それもすべてエジプトなんだよ、ぜ〜んぶエジプトに繋がってるわけ。中学のときからサッカーにのめり込むんだけど、それは探検をするには体力が必要だから身体を鍛えないとという理由だし、将来砂漠で活動するためのノウハウを学ぶために高校のときには山岳部で楽しんだし」
すべて後付けにも聞こえますけど(笑)
「エジプトのほうは英語なんて通じないと思ってたものだから、これはゼスチャーを身につけなくてはという理由で演劇部を作ったんだ」
エジプトでの活動のためにゼスチャーを学ぶって……、しかも演劇部ですか!
「これがもうものスゴくおもしろくてさ、劇団の養成所にも入って、高校の頃は演劇に没頭したね。だから今でも演劇には随分詳しいし、役を演じることも大好き。今、なんで自分が役者じゃないのかって不思議に思うんだよ」
ボクも今、胸いっぱい不思議に思ってます(笑)
「思っちゃってるねぇ。ボクの演技はけっこういけたものでね、中学生のとき思い出を売る男という劇でチンドン屋の役を貰ったことがあるんだけど、ボクは一ヶ月間、役作りのためにチンドン屋に無給で弟子入りして、チンドン屋のすべてを身に付けたわけなんだよ。そりゃもう舞台でのボクのチンドン屋は大絶賛されてさ(ニッコリ)」
っていうかもうそれはチンドン屋そのものなわけですからね。っていうか、おもいきりブレまくりじゃないですか(笑)
「ボクは複眼なものでさ、もうなんでも見えちゃうから。でもね、これもエジプトに繋がっていくわけなんだよ。でね、東京学芸大学付属高校を卒業するあたりで、エジプトを目指すか演劇の道に行くかの選択になったわけ。なので、学芸大付属高校を出てから東大はもちろん受けるつもりだったんだけど、もうひとつ日大の芸術学部も受けたんだよ。両方受かったらもちろん東大だけど、東大に落ちて日大に受かったらエジプトはきっぱりあきらめて、日大で演劇を学んで役者になろうって決めたわけ」
で、東大に見事に落ちると(苦笑)
「そうなんだよなぁ……。でね、もう決めていたことだからエジプトは諦めて、演劇の道に進むべく日大への進学を決心してお袋に『神様はボクを役者にするようにしむけてるよ』って言ったんですよ。そしたらお袋が『学者は役者になれるけど、役者は学者になれないよ』ってひとこと」
素晴らしい!
「『役者にはいつでもなれるから、まずは学者になったらどうだい?』と言われて、なるほどなって思ってね。で、浪人して東大を目指すんだけど3回失敗してね、もちろん4回目も挑戦しようと思ってたんだけど、もう年も年だし、両親も周りの人に『慶応や早稲田ならすぐに行ける』とか大ボラ吹いてたもんだから、「カッコがつかないから東大挑戦はもう止めてくれと、慶応か早稲田に行ってくれないか』と『小中高も3年なんだから、浪人も3年でやめてくれ』と(苦笑)」
アハハハハ! で、早稲田に?
「慶応も早稲田も一発で受かったてね、ホントは慶応に行きたかったんだけど、親父が『慶応は電車賃がかかるだろ。3年も浪人したんだから家から自転車で行ける早稲田にしてくれ』って言われてね(苦笑)」
でも、早稲田で何かをやるというモチベーションはないわけですよね?
「昔から私学では研究は出来ないって思ってたからエジプトも諦めてたし、何か違うことでもやろうと思ってたんだけど、早稲田の新歓コンパみたいなのに出た時に『これはイカン』と思って」
何に対して“イカン”と思われたんですか?
「早稲田なんてデカい大学に来るヤツらはそりゃハートのほうがね、夢なんかもデカいんだろうと思ってたんだけど、集まってるヤツらはそりゃもうチマチマしたのばっかりでね」
ぶっちゃけかなり年下の連中なわけですからそれもしょうがないのでは?
「たしかに(苦笑)ボクは高校を出て、そこから3年浪人してるからかなり年上だったんだけど、だからこそだよ。こういう連中を指導しなくちゃいけないって思って、ボクの秘めたる指導力みたいなものが突然発揮し始めるんだよ」
秘めたる能力が開花しましたか!
「そうなんだよ。でね、若いうちはガンガンいけと。ケチなこと言ってんじゃないと。『お前ら早稲田の学生だろ! Boys. be ambitiousだ!!』って煽ってね、『オレがお前らをエジプトに連れて行ってやる』ってエジプト研究会を作ったんだよ」
エジプト研究会! やっとエジプトに繋がりましたね。
「まぁ、正直その場限りの熱い話だとは自分でも思っていたんだけど、30人いたクラスでその内20人くらいが『ボクも連れていってください』って感じできちゃったもんだから後に引けなくなっちゃってね(苦笑)」
言っちまった手前、もう後戻りはできないと(笑)
「そうなんだよ。じゃあエジプトをやるかってことで、即日からエジプトに向けての活動を始めることになるんだよね」
具体的にどんな活動から始めたんですか、エジプトの勉強会とか?
「集まった皆も最初は勉強するんだろうと思ってたみたいだけど、ボクはね『これからアルバイトをするぞ』って言ったの」
アルバイト!?
「そう、アルバイト。当時エジプトまで飛行機で行くとすれば飛行機代で42〜43万円くらいかかったんだよ。で、その他いろいろ全部入れるとひとり80万円くらい、今でいうと300万円くらいになるんだよね。で、当時のアルバイト賃って、例えば喫茶店とかだと時給100円くらい。どんなバイトでも120円いったらたいしたものだった時代なわけ。で、ひとり80万円だよ(苦笑)」
時給100円で80万円……、もはやガンダーラですね(苦笑)
「それが20人でしょ? もう当時の金銭感覚じゃあり得ない話なわけよ。ゆえにまずはお金だとみんなに説明してね。でも、普通のアルバイトだと途方もないわけだから、これまたボクの潜在能力がググイと輝き始めて、いろんなアルバイトを考え出しちゃうんだよ」
どんなアルバイトを考えたんですか?
「いろんなことをやったけど、一番成功したのは廃品回収だったね。会員の中にうちにトラックがあったヤツがいて、そのトラックでもってね。ちり紙交換ってあるけど、でもそれだとちり紙をあげないといけないでしょ。そんなものはもったいないからね、ガリ版刷りで『ボクたちの夢を叶えてください』的なのを刷ってね、特定の地域を決めて月曜から金曜の間に配って『土日に回収にあがりますから不要なものは出してください』って回ったの」
でも、廃品って売却ルートを確保しないといけないのでは?
「それが早稲田の卒業生にそういう仕切り場の役員がいてね、そこへ全部売っちゃうわけだよ。いろんな町内でやったんだけど、それが当たった当たった。あまりにも当たって大学から注意されたんだよね『お前たちは学校で何をやってるんだ、商売をするな』って」
勉学はどうしたと?(笑)
「そうそう。あとあれも当たったな。複製画と観葉植物と熱帯魚の3つをセットにして、喫茶店やなんかを12店舗決めて、それを1年間で12ターンで回転させるの。しかもそのレンタル商品は全部仕入れがただ。観葉植物は高校のときの同級生の親が複製画は骨董屋の友だちが提供してくれて、熱帯魚は熱帯魚の餌を売っている人の娘が早稲田でね、全部ただで貸してもらってたんだよ」
人件費は目標に向かうということでゼロなわけだし、あがりは全部儲けですか。しかも、やってることは今のダスキンみたいなことですよね!
「そうなんだよ、しかも当時はダスキンみたいなサービスを売っている企業はなかったからね。あと、観光事業にも噛んだね。土日に使っていない幼稚園のバスをただで借りて、そのバスでもってスキー場へスキーヤーを送迎する仕事にも着手して、普通の交通費よりも圧倒的に安めに設定してね、これがもうまたもや大当たり」
当時は白タク規制みたいなのはなかったんですか?
「規制なんてまったくなかったからやれたんだろうな。もう考えついたビジネスが当たってさ、そのままビジネスが大きくなりそうだったんだよ。正直、エジプトに行くって立前はこのままいくとどうなっちゃうんだろうって考えちゃうくらい」
起業を自然にしちゃって、しかも太り始めてしまったと。
「毎日やっているわけじゃないのに1年強で300万円くらい、今で言うと2000万円くらいの金額が純利であがったからね。これを元手にもっと大きなビジネスを始めたら今頃は大金持ちになってたと思うんだよなぁ(しみじみと)」